しかし、『江戸物価事典』(112907338)p.78~80によると、金銀銭の換算は年ごとに細かく変動していたようだ。 詳しくは国立国会図書館「レファレンス協同データベース」(下記URL)を参照のこと。 「江戸時代の小判や銀貨の種類を知りたい。 なぜ金と銀の交換比率が日本が1:5で外国が1:15だと,金貨が大量に流出するのかが分かりません「外国人は外国銀貨を日本に持ち込んで日本の金貨を安く手に入れた」という部分の仕組みを教えて下さい。 江戸時代 ( えどじだい ) の 貨幣 ( かへい ) の 写真 ( しゃしん ) を 切 ( き ) り 取 ( と ) り、のりで 貼 ( は ) って 表 ( ひょう ) を 完成 ( かんせい ) させてみよう! 下 ( した ) の 表 ( ひょう ) を 参考 ( さんこう ) にしてね。 天保年間、銭のレートが実に変わったことが分かる。 一両を、現在の価値で試算している部分をご紹介。 江戸時代の一両が現在のいくらに相当するのか、それを正確に計算することはできない。 時代劇を観ていて、登場するお金と言えば小判、古金銀、穴銭だと思います。 「当時のお金はどれくらいの価値があるの?お金事情を知りたい」 という人は多いのではないでしょうか? このページでは、江戸時代に使われていたお金の種類・・・ 江戸時代1603-1867年 江戸庶民・商人・下級武士が使用した貨幣 江戸庶民の財布(巾着・道中財布)に入っていたのは豆板銀(小粒銀)、一文銭、四文銭、天保通宝(百文銭)などが多かったが、一朱銀、二朱銀の取引にも慣れていた。 【幕末】金銀比価の違いによる大量の金貨流出 . 江戸時代には3種類の通貨が流通していたので、必要に応じて、両替をしていました。江戸後期の公的交換率は金1両=銀60匁=銭6貫(6,000文)で固定していたそうですが、実際は相場は変動しており、金に対する銀・銭の価値は下がっていました。 幕末の銀・銭相場 金銀、特に銀の産出量が急増し、金銀比価は、天文の後期~天正のころ、1:12~13になりました。 【 江戸幕府の公定相場 】 江戸幕府は慶長14年(1609)、 金1両 = 銀50匁 との公定相場を定めました。